今日、空みた?

自分で考える、ということを考える

ひたむきに生きてこそ (Switzerland, Geneva)

再びスイス。

もうすぐ私は英国へ移る。28年ぶりに暮らす国を変える。スイスから英国へ。

初めての踏んだヨーロッパの土地は、ロンドン。1988年のこと。

あれから30年、私はどう変わったのだろう。30年前はどんな人になりたいと思っていたのだろう。

思い出せないから、喜ぶことも後悔することも無い。ただ、ひたすら頑張ってきたな、と思う。

何を頑張ったのかと訊かれれば、やりたいと思ったことをやって来た、只それだけ。何を成し遂げたわけでもない。只、日々変わる自分に正直に生きてきたと思う。不器用にもがきながら。

 

あんないい仕事を辞めて、あんな素晴らしい人と別れて。

私は先の見えない方をいつも選んできた。なぜだか分からない。只そうしたかっただけ。そう思って,そうできる自由が私にあった。そのことがとてつもなく有り難い。

 

クルジェットやパタドゥーが逝ってしまったこれからは、残りの人生全てがボーナスだ。周りの人達に少しでも笑ってもらえれば、それでいい。

私という事象になりきって。静かに息をして。笑って歌って。泣きたいときは思いっきり泣いて。

 

ひたむきに生きてこそ、人は息災でいられる」と、誰かが書いていた。

ひたむきに生きること、それだけを心して,一日一日を丁寧に過ごそう。

 

レマン湖

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冬のビーチで歌ってみたら、泣けちゃった (Isle of Wight, Sandown)

と、言うか、大泣き。

Radwimpsを聴きながら歌っていたら、胸が詰まって泣いちゃった。

冬のビーチは、人まばら、おまけに波の音が泣き声を消してくれるから、安心して大声でワンワン泣いた。スッキリした。

歌を聴きながら泣けてくるのはしょっちゅうだけど、その日によって、涙が出る曲も歌詞もちがう。

いつも思う、「なんで、ここで泣くの?」

頭では分からないけど、私の体が「哀しいんだよ〜」「セツナインだよ〜」といっている(言ってないか)。とにかく何かを訴えている。

それが何かは、よくわからないけど、泣きたいときは泣くことにしてる。

この間は、喫茶店で大泣きしてしまった。文字通り「旅の恥はかき捨て」。変なアジア人がいるなぁとでも思ってもらえばいい。

いつから人は、泣いたり悲しむことは良くない、と言い出したのだろう?

大切な存在や守りたい価値があればこそ、泣きたいほどの感情も湧き上がってくると思うけど。

空に舞い上がってしまいそうな喜びと、とびっきり美しい哀しみと、私はどっちもたくさん欲しい。

 

Isle of Wight, Sandown - Shanklin

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あ~あぁ やんなっちゃった (Isle of Wight)

何がやんなっちゃったって、もう、何もかも。

ここ数ヶ月練ってきた博士論文研究要旨が、ぜ〜んぜんダメだって。

これじゃ、研究のスーパーバイザーが見つからないって、言われちゃった。

 

見事玉砕。

お先真っ暗。完全にロスト。

私今までなにやってたの?

世界で一番バカな人、それは私。

あ~あぁ 、ホントにもう、やんなっちゃった!

 

2週間居候させてくれたうえに、懇切丁寧なアドバイスをくれた友人にかみつきそうになった。

 

世界で一番嫌な奴、それは私。

 

と、心底落ち込んだ。

二時間ほど。

 

そして分かった。

  • 私は、その専門家の友人になんとかしてもらおうと依存していた。
  • 私の研究案を面白いと思ってくれそうな大学を選ばず、私好みの大学に研究案を 押しつけようとしていた。

そりゃぁ、上手くいかないよね〜。

万が一、希望の大学院に入れても、きっと途中で研究を投げ出してしまうだろうなぁ。

 

苦しくて、悔しくて、もどかしかったけど、身をもって学んだ。これからはもう、

  • 誰にも依存しない。サポートはしてもらっても、決して依存しない。
  • 私が提供できる物を必要とする人、そういう人達がいるところに行く。
  • 誰にも、決して何も押しつけない。

 

牧伸二「あ~あぁ やんなっちゃった」聴いて下さい。癒やされます。

https://www.youtube.com/watch?v=uOf0RzTdacQ

Sandown, Isle of Wight

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人生に意味はないと結論した釈尊が80年も生きた理由 (London)

生きる意味とか意義がどうしても必要なら、創り出せばいい。釈尊がそうしたように。

釈尊は、生きる意味などない、全ての煩悩の源はまさしくその生きる意義とか意味という言葉の裏に在る生存欲だとした。

生存欲を除くと煩悩の根源も消えるので苦しみはなくなる。釈尊が到達した輪廻転生の苦しみから解脱するための悟りとは、それだった。

生きようとする本能的な欲を断てば因果応報は成り立たず、故に輪廻転生の終わりのない苦しみの輪から脱することが出来る。

だから本来なら、その悟りに至ったまま静かに断食でもして死を待つことが、解脱への最短距離になるハズだ。でも、釈尊は死を選ばなかった。

生存欲を最大限に抑えながらも、説法をしながら生きることを選んだ。方便として。それを 生きる仮の意味とした。そして、80歳まで生きた。2500年も前に。解脱して後、40年も遊行説法をしながら生きたのだ。

私は釈尊がその方便の暮らしを結構愉しんでいたのではないかと思う。彼が説いた、 八正道(中道)は、生存欲を極力抑えて生きるための教えだが、現代から見れば、科学データで裏付けされた健康的な生活を送るためのノウ・ハウそのものだ。頑張りすぎない、とらわれない、食べ過ぎない、そして自分を観察する瞑想(今で言う、エモーショナル・インテリジェンスを養う)を日課にする。

生存欲を抑える教えが、健やかな長生きに繋がるとは釈尊も思わなかったのではないか?そして、人生に意味なんてない、といいながら、方便とした遊行説法で、人々が苦しみから救われていく姿を見る度に、彼は生きる喜びを感じたのではないだろうか?

意味とか意義なんて言う、言葉に制限されたものではなく、もっと広く深い、体の芯から湧いてくるような喜び。

釈尊は案外「もう、これ止められへんわ〜。もっと長生きしたいなぁ」なんて、思っていたかも知れない。

 

参考文献「ブッダが考えたこと」宮本啓一

 

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London Fisbury Park

人生に意味なんてなくったていい (London)

ずっと考え続けている。

ロンドン郊外ライスリップを出てからブリストルカーディフ、再びブリストル、そして今はロンドンのど真ん中にいる。場所が変わっても、考え続けても、分からない。

 

私は本当に何がしたいのか?

 

正直、とてもしんどかった。私は何の取り柄も無い。何の役にも立たない。誰も私を必要としない。そんな、思いが次から次にやって来て、息をするのも苦しかった。

自分で考えることは幸せに繋がる、などと書いておきながら、「ほんまかいな?」と自分で何度ツッコミをいれたことか。過去形になっているは、今やっと峠を越えたような気がしているから。

 

私が本当にしたいこと。それは未だ分からない。

 

でも、それでいいじゃないか、と思えるようになった。諦めたんじゃない。分からないことを、分からないと、素直に認めたくなった。だって、そうなんだから。いくら考えたって答えは出ない。

考えて明らかにするべきは、なぜその事実が私を苦しめ、次の行動を起こすことを躊躇させているか、だ。

The Thinking Environmentのアプリケーションの一つ、Thinking Partnership では、私のシンキング・パートナーはそう訊いてくる。

It is possible that you don’t know what you really want to do in your life. But, what are you assuming that causes that assumption to stop you from taking the next step ?

私の、どういう思い込みが、「本当にやりたいことが分からない」という単なる事実を障害にしてしまうのだろう?

  1. 分からないまま行動を起こして時間と労力を無駄にしたら本当にやりたいことが出来なくなる
  2. この年になって本当にやりたいことが分からないなんて、私はダメだ。一生ものにならない。
  3. 本当にやりたいことが分からないなら、生きている意味なんてない。

この三つの内、一番おおきな障害となっている思い込みはどれだろう?

それは、体が教えてくれた。3番。書きながら、頭をはたかれたような 衝撃を受けた。

これだから、自分で考えることは恐ろしい。

でも、逃げちゃいけない。だって、ここからしか光は見えてこないのだから 。正しいとか間違っているとか、そんな問題じゃない。私の真実、私のリアリティに向き合うこと。それが私(の一部)です、と善し悪しを評価しないで認めること。

それこそ、私が知るべき最も重要な真実。「灯台下暗し」のまま人生を航海すると後悔する。

私がどういう価値基準に沿って感じ考え行動し、それがどういう結果をもたらしているか。それ以上に重要なことなんてない。なぜといって、この世で私が100%コントロール出来るのは私だけだから。他者も、世間も、世界もその後だ。

静かな心で己を観察すること。他者や世界はその後でいい。

 

「本当にやりたいことが分からない」という事実を、次の行動を起こす障害にしている私の一番大きな思い込み、それは、「本当にやりたいことが分からないなら、生きている意味なんてない」だった。

でも、その思い込みは真実だろうか?

ちがう、真実じゃない。大体、「生きる意味」って何?誰が決めるの?誰に伝えたいの?どこに登録するの?

宇宙が生んだ偶然の事象として、私は今ここにいる。140億年の宇宙の歴史の中で、私と全く同じ人はこれまで存在しなかったし、これからも多分生まれないだろう。宇宙の創造力が生んだ唯一無二の事象、それが私だ。

花や木や草のように、屁理屈こねないで、只あるがままに活きる。私という事象に徹して活きること、それが、健やかで自由な、そして愉しい人生を創る秘訣なのではないか。

そう、人生、愉しんでナンボ。幸せの真逆は退屈だ。

 

だから、人生に 意味なんてなくったっていい。

 

自分らしく活きていれば、輝いていれば、そんな私を必要としてくれる人ときっと繋がることが出来る。私を必要としてくれる場所にたどり着ける。

そこで私がその人達のために出来ること。その人達を笑顔に出来ること。きっとそれが、私が本当にやりたいことだ。

本当にやりたいことは、後から形になってくる。

だから、「本当にやりたいこと」よりまず、私という人間が本来どういう人なのか、を知ることだ。

Who am I ? ではなく、How am I wired ?

私を私らしくしているエレメントは何か?理由なく惹かれるものは何か?理性を越えて本能的に嫌いなものは何か?そういう類いのこと。

私は私のことを、思っているほど知らない。

だから、行動を起こし経験を重ねて、もっと自分を観察しよう、もっと自分のことを知ろう。怖がらないで。きっと、素敵な発見がある。

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普通って何? (England, Ruislip)

今日はクリスマス。

私は、ロンドン郊外の小さな街ルイスリップでキャット・シッティングをしている。 猫一匹と、静かに過ごすクリスマス。

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以前は、結婚相手やお付き合いをしていた人の家族とクリスマスを祝った。

当時は会社勤めをしていたから、職場でも部署やプロジェクト・チームのクリスマス・ランチに出なければならず、やたら忙しくて、いつもお腹の調子がおかしくなった。

休暇に入ってものんびり出来ない。義理の家族と祝うクリスマスの準備をしなければならないから。プレゼントを買いに行ったり創ったり、料理をしたり、と仕事をするより疲れた。

しかも、そうやって準備した料理もプレゼントも、その他多数に混じって、影が薄い。作りすぎるから食べずに捨てたり、プレゼントも使わずにチャリティーに寄付したりする。

何のためにクリスマスを祝うのか?と問うことはない。だから答えも知らない。

私の元彼の両親は、二人とも熱心なキリスト教徒だったけれど、その人達ともそんな話は一度としてしたことがない。

あえて言えば、みんなが普通にしていることだから、ということになるのではないだろうか?

クリスマスは家族と過ごすもの。出来れば普段よりずっと豪華な食卓を囲むべきだし、プレゼントも贈り合うべし。年に一度のお祭りだ。それが、普通だ。

それでいいではないか、と思う。でも、そのお祭りが、私にはちっとも愉しくなかった。

必要以上の物を胃に詰めて、不必要な物を贈り合う。毎年「何やってんだろ、私?」とすこし落ち込んだ 。

でも、そんな思いはスグ消した。考えたくなかった。一人静かに愛猫たちと過ごしたい、何て、パートナーに申し訳なくて言えなかったし、普通じゃないと思われたくなかった。怖かった。

 

        普通って何なの?どこにあるの? 

野田洋次郎は、私の問いを歌ってくれる(「最期の晩餐」)。

そして、こう続ける。

        60億個の正しさの中で 365個の戦いの中で

        僕は守ってる 大事に育ててる

        僕だけが知る正解に丸をつけてる

 

十何回、落ち込むクリスマスを過ごして、私はついに自分の正解に丸をつけることにした。

ここ数年、クリスマスは猫と静かに過ごしている。この一年を振り返りながら。

シアワセ。

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今回私が利用したのは、TrustedHousesitters (https://www.trustedhousesitters.com/house-and-pet-sitting-assignments/) というサイト。ペット・オーナーと動物・旅好きを繋いでくれます。オーナーの留守中に、家やアパートに無料で滞在させてもらう代わりに、旅行者はペットのお世話をするシステム。これでペット・シッティングしながら世界中を旅出来るかも。

自分で考える、自分で幸せになる (England, Ruislip)

 

自分で考えることは勇気がいる。

何故なら、これまで自分を導き支えてきた価値観を初心に戻って見直さなければならないから。

恐れや疑いと真正面に向き合わなければならないから。

「常識」という、絶対的な支持と圧倒的な力を持つものから、自分たった一人の価値観を守らなければならないから。

自分で考えて決めたら、その後どうなっても、自分で責任を取らなければならないから。

では、その見返りは何? 何が哀しくって、そんな面倒なコトをするのか?

性善説大乗仏教文化に生まれ育った日本人が、キリスト教徒になったと聞く度に、 何が哀しゅうて、わざわざ原罪を背負い込むの? と思ってしまう。

ちなみに自分で考える人と宗教は相性が悪い。

なぜといって、自分で考えることは、 一切の常識や他者の意見、そして自分の価値観をも常に検証することだから。

誰かの考えを鵜呑みにずっと信じることなど出来ない。信じる者(だけ)が救われる宗教では、自分で考える人は救われない。

でも、自力で自分を救うことが出来る。救うどころか、幸せになれる。

自分で考えることは、一見辛くても、確かに最初はしんどくても、必ずあなたを幸せにしてくれます!これは、私の経験に基づいて断言しておこう。

自分で考えることは、決して簡単じゃない。忍耐と根気が必要。でも、自分の周りの世界が大きく開けて、見える景色がドンドン美しくなる。

自分で考えて行動を起こしたひとつひとつの経験は、どんな小さなものでも、自分の血となり肉となる。あぁ、今日も成長した、と実感できる。

周りに笑顔の人が増える。気がついたら、自分の笑顔も増えていた。

自分が好きになった。

自分で考えることは、人生をより愉しく豊かにしてくれる。お金よりも、物よりも、ずっとずっと素敵に。

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