今日、空みた?

自分で考える、ということを考える

普通って何? (England, Ruislip)

今日はクリスマス。

私は、ロンドン郊外の小さな街ルイスリップでキャット・シッティングをしている。 猫一匹と、静かに過ごすクリスマス。

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以前は、結婚相手やお付き合いをしていた人の家族とクリスマスを祝った。

当時は会社勤めをしていたから、職場でも部署やプロジェクト・チームのクリスマス・ランチに出なければならず、やたら忙しくて、いつもお腹の調子がおかしくなった。

休暇に入ってものんびり出来ない。義理の家族と祝うクリスマスの準備をしなければならないから。プレゼントを買いに行ったり創ったり、料理をしたり、と仕事をするより疲れた。

しかも、そうやって準備した料理もプレゼントも、その他多数に混じって、影が薄い。作りすぎるから食べずに捨てたり、プレゼントも使わずにチャリティーに寄付したりする。

何のためにクリスマスを祝うのか?と問うことはない。だから答えも知らない。

私の元彼の両親は、二人とも熱心なキリスト教徒だったけれど、その人達ともそんな話は一度としてしたことがない。

あえて言えば、みんなが普通にしていることだから、ということになるのではないだろうか?

クリスマスは家族と過ごすもの。出来れば普段よりずっと豪華な食卓を囲むべきだし、プレゼントも贈り合うべし。年に一度のお祭りだ。それが、普通だ。

それでいいではないか、と思う。でも、そのお祭りが、私にはちっとも愉しくなかった。

必要以上の物を胃に詰めて、不必要な物を贈り合う。毎年「何やってんだろ、私?」とすこし落ち込んだ 。

でも、そんな思いはスグ消した。考えたくなかった。一人静かに愛猫たちと過ごしたい、何て、パートナーに申し訳なくて言えなかったし、普通じゃないと思われたくなかった。怖かった。

 

        普通って何なの?どこにあるの? 

野田洋次郎は、私の問いを歌ってくれる(「最期の晩餐」)。

そして、こう続ける。

        60億個の正しさの中で 365個の戦いの中で

        僕は守ってる 大事に育ててる

        僕だけが知る正解に丸をつけてる

 

十何回、落ち込むクリスマスを過ごして、私はついに自分の正解に丸をつけることにした。

ここ数年、クリスマスは猫と静かに過ごしている。この一年を振り返りながら。

シアワセ。

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今回私が利用したのは、TrustedHousesitters (https://www.trustedhousesitters.com/house-and-pet-sitting-assignments/) というサイト。ペット・オーナーと動物・旅好きを繋いでくれます。オーナーの留守中に、家やアパートに無料で滞在させてもらう代わりに、旅行者はペットのお世話をするシステム。これでペット・シッティングしながら世界中を旅出来るかも。